現代では、親子の判別は科学的にDNA鑑定によりほぼ完璧に判断ができます。
それでは科学が発達していなかった時代にはどのように判断していたのでしょうか?
中国の古い漢方書に書かれていた判別法
これから書くことは、本当に科学的に正しいかどうかは分かりませんが、記録として記載されていたことをお伝えします。
中国では、人骨も薬として使用されていました。
基本的には骨折をした場合の薬であったそうです。
そして記録には、「父親の骨には実の子の血液だけ染み込む」ともあります。
他人の骨には血液は染み込みませんが、父と子の関係性の者の血液だけ染み込んでいくそうです。
滴骨認親法
この鑑定方法は、滴骨認親法と呼ばれていました。
古来の中国のいくつもの文献で紹介されていますので、昔は常識的な知識でもあったそうです。
実際に試したという記録が下記の詳細になります。
中国の南北朝時代の武帝は、絶世ぼ美女と云われた殺された前皇帝の蕭宝巻(しょうほうかん)の妻を自分の後宮に入れました。
そして武帝の第二子として蕭綜(しょうそう)が生まれました。
しかし蕭綜は武帝の子ではなく、前の皇帝の蕭宝巻の子どもではないかという噂もありました。
この説を否定したかった蕭綜は、前皇帝の蕭宝巻の墓を暴き、納骨していた骨を取り出して血を垂らしました。
そうすると、蕭綜の血液が染み込んでいったそうです。
このお話にはまだ続きがあります。
しかし滴骨認親法が本当に正しいのか分からなかった蕭綜は、自分の実の子を殺害し、その骨に血液を垂らしてみたそうです。
非常に恐ろしいお話です。
結果、自身の実子のお骨にも血液は染み込んだそうです。
※本当に父親と子の関係性だけ血液が染み込むかどうかは分かりません! あくまで記録のお話です。
書籍(読む漢方薬)参照